金曜日, 1月 26, 2007

仕事、冬の時代に学んだこと

 どんな状況でも楽しみながら仕事をしているのですごく脳天気な人間と思われているが、そんな僕にとって仕事、冬の時代というべき時期があった。会社の仕事のことで泣いたことなどほとんどないのだがこの時は悔しくて涙が止まらなかった。やせ我慢する方なのでもちろん人前で泣くわけではないのだが、人知れず何時間も号泣した経験の一つ。

 僕がぎりぎり20代の頃、まとまった仕事を任される機会があった。ある地方銀行のお客様で情報システムを構築する仕事。そのお客様は某メーカーのシステムを使い続けていて、うちの会社のシステムを初めて採用した新規顧客だ。こういうお客様はITに関する文化が違い理解いただくのに苦労するものだ。僕は構築提案から入った。うちの会社の価値を享受いただきコスト的にも見合うのはパッケージ開発しかない。いくつかの同業態のパッケージ化を検討した。この経験は初めてではなかったのでいくつかの評価観点を設けて比較を行った。結果、西南方面の銀行のパッケージが最適と思い提案した。提案は受け入れられ、僕はそのままプロジェクト・マネージャ(PM)をやることになった。やりがいのある仕事だと思った。

 しばらく横浜の自宅から出張形式で仕事をしていたが、現場監督であるPMが現場にいなければ仕事にならない、と家族を連れて地方都市に転勤した。

 プロジェクト計画を作った。期間は2年と3ヶ月。要員は平均約20名。完璧な計画ができたと思った。ただしそれをお客様が理解していただければ。僕は若くて未熟であった。パッケージの修正率を抑えることとプロジェクト工程の精緻さに気が入って、お客様のシステムに対する想いと業務を理解していなかったのだ。
 
 お客様のカウンター・パートの人はOさんといって僕より一回り上の年齢の凄まじい人だった。その感情的なことと思い込みが激しく非条理なところはお客様の組織の中でも特異な存在のようだった。僕の業務理解不足と経験不足はすぐにOさんにはわかったに違いない。日々の攻防が始まった。何しろ人格を否定するような責め方をするのだ。しかも政治的にいやらしい感じではなくすごく純心な人で思ったことをそのまま口に出すタイプの人なのだ。僕にもくだらないプライドがあり、言い続けられることは精神的に耐えられなかった。

 肉体的にも極限状態となった。Oさんの要望を満たすことが信頼を得る必要条件であったため、優先順位の低いことでも彼のためにやらなければならなかったのだ。この考えが間違いと気付くのは随分後のことだったが、その時はいたしかたなかった。普通の日の睡眠を3~4時間にして土日の両方を出ても彼の要望には追いつかない。その状況が数ヶ月続いた。

 僕は少しずつ精神的に肉体的に参っていった。

 計画は少しずつ遅れていった。表面上は遅れずに品質上遅れていったのだ。Oさんにそれを理解してもらおうと努力した。しかし彼はまったく僕を相手にしなかった。そして予定通りにプロジェクトが進んでいるという自信を持ち続けた。彼もまた経験が無かったということは後からは理解できた。

 プロジェクト・メンバー全員にアンケートを出した。何が問題か?何をすれば解決できるか?いい意見をたくさんもらった(手書きでもらったその紙は今でも机の中にある)。しかし実行に移せることは少なかった。そして僕とOさんとの関係を見てメンバーの心も僕から離れていった。僕はお客様からも自分のメンバーからも孤立していった。

 次に僕は会社に訴えた。僕は任されていたために管理されることがなく、状況の報告を要求されなかったことも禍したのだ。自分の上司に訴えた。このままでは絶対に期日どおりの開発ができないこと。Oさんを替えるように会社として働きかけるべきであること。そうすれば成功すると思えること。本当はそれが本質ではなかったことにも気付かなかったのだ。その頃に上司だった人はとても優秀なシステム・アーキテクトでどちらかというと政治的な切った張ったは苦手な人だった。Oさんはこの人のこともなめきっていたし、この人もお客様に働きかけることはできなかった。また会社からははもっと切羽詰まったプロジェクトがありこれはまだましな方だと言われて有効な対応を取ることはできなかった。

 とうとう破局がやってきた。稼動予定日の3ヶ月前のことだ。当時お客様のIT部長であり役員である人は人格者で僕はいろいろな相談をしていたのだが、Oさんを飛び越えて話すのを避けたのに加えて精神的に参り始めてからはあまりこの人にも真実を伝えられないでいた。諸々の報告結果からこの人がプロジェクトの状況を「危機的な状況にある」と判断したのだ。もちろん正しかった。開発の遅れと機器手配の遅れにより予定通りの稼動は不可能、というものだが本質はそんなものではなくプロジェクト管理が破綻していていたからなのだ。それもこの人は理解していた。僕の会社に対する大きな激しいクレームが届けられた。
 
 すべての見直しがなされた。体制的には簡単に言うとOさんはお客様の組織内でリーダーから外され、僕は自分の会社の中で外された。お客様のPMは副部長クラスのYさんとなり、自分の会社のPMは大ベテランのHさんとなった。(Hさんは昨年会社を辞められたがその直前に話をする機会があり、本人はそのつもりだったのでプロジェクト・マネージメントはどうあるべきだということを紙にまとめて手渡してくれた。)
 僕もOさんも逃げるわけにはいかない。そのままプロジェクト内にアドバイザーという名目で残されたが失敗したリーダーとして辛い立場となった。その他にも採算を度外視して要員を投入し新体制によるプロジェクト計画の見直しの後にスケジュールは約半年の遅延となった。

 僕は一時すごい虚無感にとらわれた。今まで一生懸命やってきたことは何だったのだろう。自分が立てた計画は何の意味があったのだろう。もはや僕はリーダーでも何でもなくこの何年かやってきたことは何の価値もなかったというのか。
 でも逃げてはいけないと思った。どんなことにも耐えて最後までやろう。プロジェクトが終わってシステム開発が完了するまで。

 幸いなことにHさんも同時に参加したサブリーダー格の同期のMも、またお客様もプロジェクトとして協調路線となりその後のプロジェクトを何とか進めることができた。最後は会社側の1リーダーとして稼動の儀式に参加させてもらった。この6ヶ月は何も考えずに、「逃げない」ということだけを自分に言い聞かせた。

 すべてが終わり、僕は転勤先から東京の本社に戻ることになった。この頃は戻る時期も既にわかっていたので家族は子供の幼稚園の都合で先に横浜に戻っていた。荷物をすべてダンボールに詰めて部屋に山積みにして明日は引越しという最後の晩だった。仕事を終えて家に帰り布団だけ残して最後の箱詰めを行った。

 そしてダンボールの山に囲まれながら、部屋に座り込むと僕はここに来て初めて泣いたのだ。
 「僕は負けたのだ。負けてこの地を去るのだ。仕事に失敗し僕を信頼した会社の期待に応えられなかったのだ。僕について来た人々を不幸にしたのだ。」
と思うと悔しくて涙が止まらなかった。大声をあげて泣いた。眠れもしなかった。目の前に積まれたダンボールの山を見ながら何時間も泣いた。

 ここでの仕事は僕にとって大きな意味を持つことになった。プロジェクトの失敗経験はもちろん大きな教訓となった。それに加えて大きく学んだことは2つあった。

 人との仕事上のやり取りに関してどんなに厳しくても激怒されても、あの時のOさんに比べるとまだましだと思うと精神的に耐えられるようになったのが一つ。そういう意味でOさんには妙に感謝している。

 どんな状況でも絶対に逃げない、ということに関してが二つ目だ。仕事に対して精神的に信じる拠り所があれば、立場がどうであれ逃げない自信がついた。次に同じような状況になっても決して逃げないだろう。

 比較的長く辛い時期を過ごしたこの頃は、僕にとって仕事冬の時代であった。身につけたことをバネにして新しい仕事に臨んでいるつもりである。
 それからの仕事も成功ばかりではないが自分の精神面を強くした経験としてこの冬の時代に身に付けたことが役に立っている気がするのである。  

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

一人残された最後の日に、堰を切ったように涙が止まらなくなる感覚・・・すごーくわかります。私も絶対に泣いてしまいます。
それにしても、いくら若かったとは言え、家族の転居まで伴って、心身共に疲弊しながら、すごい仕事をされてたんですねぇ。びっくりしました。
結局、仕事ってどこまでいっても、最後は人ですよねぇ。悩みが生じる時ってのは、大体、人による所が多いし、ただ、逆に救われる時も、大概、人なんですよねぇ。
でも、kohsさんにとって、今となればほんと20代の貴重な経験ですね。絶対に今のkohsさんの基礎になってますよ。おつかれさまでした。

kohs_K さんのコメント...

きっと皆さんも、もっと厳しい経験をして今があるのだと思います。まだまだ未熟ですがこれからも色々な経験を重ねていきたいと思っています。

kohs_K さんのコメント...

AOさんも冬の時代を何とか生き抜いてくださいね。

匿名 さんのコメント...

こんにちは。mixiから来ました。
仕事、冬の時代・・・ここ2年くらいが仕事冬の時代でした。冬は終わった・・・と思っているのですが、春はこれからです。
春になるためにやらなきゃならないことがたくさんあります。

エントリーを読んで、いろいろ考えました。「逃げないこと」・・・ができずに、19年働いた会社から逃げました。仕事は大好きでしたが、人から逃げました。その現実を受け入れつつあるところですが、まだ、kohsさんのように、こんなにきちんと振り返ると、心が血を流しそうなので、かさぶたが取れるまでに、もう少しかかりそうです。

が、このエントリー読んで、なんだか少し元気が出ました。

ありがとうございます。

kohs_K さんのコメント...

勤労者xの憂鬱さん

ステージを変えたことは逃げたことではないと思いますよ。次のステージで成功してくださいね。私も振り返ることができたのはしばらく経ってからです。