金曜日, 3月 09, 2007

「項羽と劉邦」の登場人物に学ぶ

(「項羽と劉邦」に見る人物観(上)http://zacky-kohs.blogspot.com/2007/02/blog-post_11.html参照)
(「項羽と劉邦」に見る人物観(中)http://zacky-kohs.blogspot.com/2007/02/blog-post_16.html参照)
(「項羽と劉邦」に見る人物観(下)http://zacky-kohs.blogspot.com/2007/02/blog-post_22.htmlより続く)

 司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の話に従って感じ入ったところを書き出してみた。多くの登場人物が魅力に溢れ、僕にとっての学ぶべき人生観となっている。いずれも歴史上の大人物でありそのまま生き方を真似ることはできないので、それぞれの局面や状況によってこの人のように生きたい、と思うのだ。以下はどのような状況ではこの人の生き方を学びたいかということを考えてみた。
 ちなみに僕はIT企業に勤めているのだが、学びたい観点は自分の身の回りの仕事に関連することが書いてあるのであまり広くない特定の世界になっているかもしれない。

1.長期的な権力とリーダーシップを取る
 <例えば大企業の経営者になるということ>

 長期政権を維持した漢の国王として劉邦は美徳をもって語られている(日本での典型は徳川家康)。人のいうことに耳を傾け、つまらぬプライドは捨て、キャラクターとして人に愛されて人間的であるためにたくさんの人間に助けてあげようと気持ちを起こさせる。人間的に強い態度を常に出し続けるというタイプではなく時には弱音をはき、逃げ出すこともあるのだが自分が大きな袋であるということを自分に言い聞かせていたのではないだろうか? 結果、様々な才能がそのもとに集まり、張良のような最高のブレーンと韓信のような最強の部隊に支えられて天下を取った。寛容で人の欲というものをよく理解した褒賞を行うことによりその後も政権を確保し続けたのだと思う。大会社の経営者になるためには劉邦のスタイルは意識と態度の点で大きく参考にされるだろう。しかし劉邦のように生きる努力をするということに意味があるか? それはNOだと思うのだ。出会った人々に対して劉邦のような意識を持ち態度を取ることは意味があるだろうが、天下を取ったことは結果であり劉邦のような人間はきっとたくさんいてこのように生きれば天下が取れるということではないように思えるのである。

 僕は大企業でなくても良いが会社の経営をやることを目標に会社生活を営んでいる。成功したトップの例として劉邦の意識と態度を頭の片隅におきながら違うリーダーシップのスタイルを複数取る努力を続けて生きていきたいのである。

2.危機的状況を乗り切り成功に導く
 <例えば事業リーダーとして前面に立って奇跡的な成功を導くこと>

 危機を乗り切る場合や飛躍的な成功をする状況では卓越した能力と爆発的な情熱により周囲を従わせることが必要となる。このような状況では項羽のように自らが前面に立って率先垂範するスタイルが必要となる。この人についていれば必ず勝てるのだ、という感をいだかせる個としての強烈なパワーを持っている。人を愛し(親しい人だけではあるが)、愛される魅力的な人物だったに違いない。

 時として比較的短期的に危機を乗り切らなければならない状況がある。とんでもないトラブルを解決させて修復しなければいけない場合やとても間に合わないと思えるスケジュールで仕事をやり遂げなければならない場合。こういう時は僕は恐らく項羽のようなリーダーをイメージして行動しているかもしれない。自分が先頭に立つ。ゴールとやり方を示す。メンバーにそれを必ず遂行させる。必ずしも良いスタイルではないのだが必要な場合があるのだ。困るのはこういう場面での僕を見てそういう人間だと思われることが多いことだ。そうでもないんですよ、ほんとに。 

3.戦略により強大な組織を成長させる
 <例えば長期戦略を持ち経営企画として組織経営を助けるということ>

 登場人物の中でやはり人気が高いのが張良なのではないだろうか? 司馬遷の見た絵姿より察せられるといわれる美少女のような容貌と病弱な体と史上最高の軍師であったことのアンバランスも確かに魅力的である。始皇帝を暗殺しようとした若い頃の情熱と激しさを秘めながら常に劉邦に良策を与える。どちらかというと机上の戦略家であった張良に劉邦は全面的な指揮権を与えるために張良は本領を発揮する。張良の凄さは長期的に色んな状況におけるストラテジストであったことである。戦局だけではなく政治においても戦略を持ち漢帝国を長期的に支えた。
  范増 は楚においてどうであったか。范増もやはり深い智謀の持ち主であり楚のブレーンであった。しかし張良とは違い才能を自分の未来に活かすのではなく、蓄えた才能を若い項羽に与えた老練なアドバイザーだったのだと思う。
 
 20代や30代前半までは僕は間違いなくこういう生き方に憧れていた。三国志では諸葛孔明が一番好きだったし、企画とか戦略という言葉は今でも好きだ。天才的なブレーンよりも大きな勢力を持つリーダー志向にどこかで生き方が変わったみたいだ。范増の年になったらまた戻るのかもしれないなあ。

4.思いを達成するために自己実現にこだわる
 <例えば思想と知恵を持ってソリューションやアーキテクチャーを提供するということ>

 自分の才能を買ってくれる人であればその才能を活かしたいというタイプで智謀に富んだ人物の一人は陳平だ。 張良とともに劉邦軍の計略を支えた。蒯通は韓信という最強の将軍を材料にして自分の描く覇者のイメージを具現化しようとした。候公もまた自分の能力を買ってくれる主を求めて劉邦に仕え項羽との戦いにおける重要な解決策を示した。彼らの共通点は自分の主を題材とした自己実現であった。そして彼らの主は彼らの策をよく取り入れたのである。

 会社に勤める僕にとって会社が自己実現の題材であるという点はまったく同じだ。また会社の持つ能力や資産を利用してお客様に解決策や思いを提案するという点も近いかもしれない。一点違うとすれば彼らは人を題材としてそれを行い、その人が王になることを望んだが僕が題材としているのはあくまでも企業組織であるという点である。

5.完璧なスタッフ・ワークによって組織機能を支える
 <例えば企業運営に必要な機能を淡々とやり遂げるということ>

 企業に必ず必要な人間で有能でなければならない。蕭何はもの静かで分析的で淡々と事務をこなし難局にも表情を動かさない人物を想像させる。漢軍の勝利の影には必ず蕭何の法令とロジスティックスと人事があった。韓信を採用し一時逃亡したのを引き止めたのも蕭何であった。

 残念ながら僕にはこの資質が0のように思える。 蕭何のような人物を探すばかりである。

6.ストーリーを持って相手を説得し組織を救う
 <例えばTopに対して短時間で解決策を説得できる営業やコンサルタントであるということ>
 
 春秋戦国の時代の流れをくむ縦横家は皆そうだったのだろう。理論と情熱をもって人を説き伏せる。売ることにより利益を求めるのではなく説得すること自体に生きがいを求めるという点を除けばセールスに近い。れき食其は劉邦軍において外交上何度か難しい説得を引き受け、最後は斉王に対する説得に成功するが戦略上の手違いにより煮られる。そのことに何の後悔も無かっただろう。隋何は虫も殺さぬ婦人的な性格を持ちながら項羽軍の大勢力であった英布の寝返りを説得して成功する。これをやるにあたって隋何が死を覚悟していたことを張良は気づき劉邦に教えるのである。二人とも儒者であったことは形式主義がこの頃の縦横家のスタイルを支えていたのではないか。

 エレベーター・ピッチという言葉があるが極めて短期間に大きなディールが成立する場合がある。時宜を得て完璧なシナリオを語ることに命をかけることは一つの生き方かもしれない。必ずしも真実でなくてもその場における完全なるシナリオの説得。騙されたとしてもそれが気持ちのいい種類の説得なのである。スピードを要する仕事には必要と思う。


7.目的を達成するために大きな権力を持つ
 <例えばプロジェクト・マネージャとして大きな組織権力を持つということ>

  一番好きな登場人物である韓信のことを書く。純粋に軍事と言うものを仕事と捉えて仕事における情熱において成功した人物である。その目的を達するために必然的に大きな勢力を持つことになり主である劉邦もの疑惑を生じさせ殺されかけることになる。権力を持ちたいと思って仕事をしたのではなく、仕事を成功させるために権力を必要としたところが大好きなのである。項羽に評価されずに劉邦軍の蕭何の面接を受けたときの話は紹介した。純粋な自信を元に押し出しの強いところがスタートとして大切だと思っている。その後歴戦において勝ち続けて漢軍の中央機構に関して顧ることなく諸国を自分の領域とするのである。その勢力は劉邦はもちろんのこと項羽や秦帝国をも凌ぐことになる。その後どうするというのは大きな疑問を投げかけるのだがここまでの影響力を持って敵からは恐れられ、味方から畏怖の念を起こさせるリーダーというのは僕はやはり憧れている。成功した後の立ち回りがもう少しだけうまければ漢成立後にも生き残ることができたであろう。
 誰につくべきかを考えずに同じように純粋に仕事に専念した天才が章邯であり、韓信と同じタイプのリーダーと思っている。人望も高い。趙高 の中央政治に関してはわかっていながら仕事に集中するためにわかろうとしない努力をした。秦帝国が存続するという確信があって戦っていたかというとおそらく違うだろう。
 さて李斯はどうだっただろうか? 彼は政治を意識して身を立てて秦の重職についたが趙高の政治計略にはまり失敗をした。仕事そのものに対する執着はなかったであろう。

 僕はプロジェクト・マネージャとして仕事をしている時に韓信のように生きたいと思う。自分の仕事を成功させるためにより大きな勢力を得て、より大きな権力を持ち続ける努力をするのだ。 自分の属する会社や組織が長期的に成功をするかどうかを計算して選択をしたい。章邯は自分を犠牲にしたのだが現代社会人の生き方として僕はそれはしたくない。それでは最大の勢力を得た後にどうすべきなのか? 韓信は自分を排除しようとする漢政府の動きが読めなかった。政治的センスのある部下を持ち耳を傾けるべきであったろう。自分のキャパシティぎりぎりの勢力をもったところで生き方を変えて別のタイプのリーダーシップを取ることができればベストなのではないだろうか。

8.バランス良く第3勢力として生き延びる
 <例えば関連会社の社長として影響力を与え続けるステークホルダーであるということ>

 彭越は半漁半盗の親分であり地方において勢力を持ち続けた。劉邦についたが常に微妙なバランスを取り続けて正規軍と一線を画してのらりくらりとした戦闘を展開する。劉邦は一大勢力を敵にするわけにいかず疎な協業関係を結んで楚に対するのだ。広大な領土と地位を与えられた彭越は楚を滅ぼすにあたっての重要な役割を担う。
 韓信にも第3勢力の要素があった。しかしこちらは純粋な軍事家が大きな勢力を持ちすぎたためにそうせざるを得なかったのではないか。
 彭越も韓信も後に劉邦の妻呂后の政略により殺されることになる。

 最近、この生き方をとてもおもしろく感じることがある。会社の内外を問わず多かれ少なかれ派閥が存在して時に反目する場合がある。その時にどちらも正しくないと思えるのであればある勢力を確保してバランス良く泳ぐ行き方をしばらくはせざるを得ない。勢力を維持することが必須である。またいつまでもこの状態を保つのは極めて困難であることは歴史も示している。

(完)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

貴方の思考はとてもよくわかりました。あなた様な方と仕事をしてみたいと思いました。でも、人間って企業の中の自分だけではなくて家族の中での自分のあり方もすべて含めてかたち作られるものであると思うので、項羽と劉邦を通して公ではない自分、家庭であるべき自分についてどう考えているのか聞きたくなりました。どうお考えですか?

kohs_K さんのコメント...

なるほど、その通りですね。
家庭に関しての考えは例えば項羽は戦場においても愛する女性を手離さなかったようだし、劉邦は家庭にかなりのことを任せていたような感じがします。項梁は妻を持たずに密かな別宅に通っているし、韓信は咸陽で見つけた女性を伴侶とするが夫婦を営むという感じはしないですね。
 家庭以外に関しては故郷との関係の持ち方とか(劉邦は薄く項羽は濃い)、思想とか(儒教家、老荘家など)が描かれています。
 今度、公でない部分の人生観考えてみますね。また見てください。