土曜日, 12月 21, 2013

KIXというバンド

 少し前にFBでドラムのKよりメッセージが入り、学生の時にKIXという名前のバンドをやっていたギターのSさんが何年か前に亡くなったということを知った。Sさんは僕より8つ年上で二十歳ぐらいだった当時は随分おっさんだと思っていたが50代で亡くなったのだと思うのでお若くしてご逝去されたものだ。大学卒業以来、一度もお会いできなかった。心よりご冥福をお祈りします。

 ということもあり、KIXというバンドのことを少し思い出して書いてみる。また最近、昔の写真をデジタル化したので何枚か共有してみる。







 このバンドは僕にとってはSouk,Funk系の音楽を広く聞くきっかけになり、またオリジナル曲を作ってライブに出演した大切な経験となっている。

 大学の3回生の頃だと思ったがその亡くなったSさんから何故かSoul系のバンドをやるという声をかけられた。Jazzしかやっていなかった僕に何でかな、と思ったがSさんも僕のことはよく知らなかったらしい。最初のバンド名は北白川Funky Rhythm Sectionと言った。
 Vocalは途中で替わり、Alto Saxの同期のFは卒業して抜け、Drumsは初期メンバーのOさんがプロになってから何度も替わったが、バンド名をKixに変えた最後の1年ぐらいは以下の9人のメンツでやっていた。
Guitar: Sさん(♂京大)
 当時は留年の期限を超過し京都の楽器屋の十字屋に勤務していた。ブルース系の人で当時は先輩ながら癒し系の存在。
Bass: Oさん(♂京大)
 当時からものすごくうまかったがこの後バークレー音楽院に行って、今や日本を代表するジャズベーシストとなっている。
KeyBoard:Nさん(♀京大)
 とっても才能のある人で天真爛漫。で、とても美人。後にOと結婚。
Vocal:Yさん(♂京産大)
 とても感情の量が多い人で気分の浮き沈みが多かった。泥臭い(スマートとは逆の)ボーカル。
Drums:Kさん(♂同志社大)
 性格もプレイもご機嫌で明るくファンキーな人。バンドのムードメーカー。卒業後は別のバンドで東京でしばらくプロを目指していた。大阪在住。
Trumpet:K村さん(♂近畿大)
 僕の高校の吹奏楽部の同期。卒業後は関西のアローオーケストラ等で音楽活動をしていた。京都在住。
Tenor Sax:K山さん(♂京大)
 飲み会ではすぐに意識を失うので体中にマジックで字を書かれる。すごくいい音を出していた。今は自動車メーカーでヨーロッパ勤務。
Trombone:Cさん(♂京大)
 めちゃくちゃ頭が良くて面白い奴。楽器は完璧で今は東京近辺のフルバン関係者では有名。で、銀行員。
と、私(KeyBoard)。

 最初はコピーをやっていたが、後半は曲を持ち寄ってオリジナル・バンドになった。
 
 コピー曲で記憶に残るのはD.HathawayのWhat's going on、Little getto boy、King CurtisのMemphis Soul Stew、Larry GrahamのFoxy Lady、Kool&Gangの...曲名忘れた、Earth Wind&FireのLearnin' Yearnin' 、Stevie WonderのDo like you、Another Starとか。
 オリジナルはみんなで持ち寄ってたくさん作ったが、Nさんの作った曲が抜群に良くて、いまだに口ずさめるメロディがあるぐらい。

 最初のライブは京都のサーカス&サーカスというところだった。今はもう無い。その後は、今でも四条富小路にあるが磔磔(たくたく)というライブハウスでやっていた。大学の学園祭にも出場。たくさんのお客さんに来ていただいた。打ち上げは大概、「ん」という居酒屋でやって盛り上がった。K山が酒を飲むとすぐに寝てしまうので、みんなで身ぐるみをはがし油性のマジックを店から借りて体中に落書きをするのが恒例となっていた。顔には必ず卍マークを書いたのでマンジという芸になっていた。

 練習は大学の軽音楽部のボックスとトーマススタジオというスタジオで週2回ぐらいやっていた。練習後も今思えばみんな仲が良く、喫茶店に行ったり音楽ビデオ(当時はLaser Disk)が見れる店に行ったりしていた。そのまま朝までみんなで日本海までドライブしたことさえあった。

 最後のライブを磔磔でやって、この時にレコーディングを行った。今でもきれいな音で残っている。打ち上げの時は、もうこれで最後だと思うと悲しかった記憶がよみがえる。

 その後はそれぞれ卒業して就職したり音楽活動を続けたりそれぞれの道を歩んだが、いまでも年に何回か会う人も多い。

 昨年の夏からOをゲストにしたセッションが入谷の「なってるハウス」という企画されてOとNのご夫婦には年に1回ぐらいはこれからも会えそうだ。
 Cとはフルバン関連のイベントやリハーサルで年に何度か顔を合わせる。K村は京都の高校の同窓会が割と頻繁にあるため数年に一度は会う。Yさんはどこにいるだろう、北海道?K山はベルギーにいるためFBのみ。Kも大阪なのでFBのみ。Sさんとは残念ながらもう会えない。

 何だかこう書いていくとこのバンドは学生時代の青春そのものだったような気がする。

 昔の投稿(http://zacky-kohs.blogspot.jp/2006/11/blog-post_17.html)

木曜日, 7月 11, 2013

千葉市街串焼きや『福耳』での乱闘事件に関する情報

 彼が赤の他人を殴ったのは6年前のことらしい。

 場所は千葉市街の富士見町にある、福耳という店だ。彼が千葉の仕事を離れる時で送別会を何度もやってもらった訳なのだがその送別会の何回目かのことだ。

 その店は1階はカウンター、2階はテーブル、3階は座敷の飲み屋で僕は結構気に入っている。彼の送別会はその店の3階で行われていた。その店のトイレは2階にしかなくて彼は宴会の途中で2階のトイレに行った。

 以下は彼の弁なのでどこまで信じていいかはわからない。が恐らく事実だろう。

 彼がトイレに入ると外からバンバンバンバン叩く音がした。入ったばっかりだというのに。その上、若い男の声で「お~い、何やってんだよ、早く出ろよ。」、「いつまで入ってんだよ、お前は。」と極めて失礼な罵声が与えられたらしい。彼は2秒で判断し、小用がすんだらそのトイレの外にいる男を殴って殺そうと決めたらしい。

 恐らく30秒ぐらい後の話だと思うが、外の男の罵声は続いていたが、彼はトイレのドアをバーンと空けて目の前にいる男のボディにパンチを入れたらしい。その若い男は倒れてこう言ったらしい。「な、何するんですか、いきなり。やめてください。」

 彼は「何が、何するんですかだ。ちょっと来い。」と言って倒れた男の胸倉をつかんで2階のテーブル席の通路に引きずり出したらしい。

 「立てや、おまえ。」と彼は左手を自分の左目から15センチぐらい先に、右手を右頬につけて左足を前にファイティング・ポジションを取ったらしい。若い男は明らかに怯えていて通路に倒れていたということだ。2階のテーブル席は客で満席で全員言葉を失ったらしい。

 その瞬間に、その若い男と一緒に飲んでいた3人ぐらいの男が何やら言っているのが聞こえたらしい。「いや違うんですよ。あいつがドンドン叩いていたのは連れが入っているトイレで。」

 彼はその一言で自分の勘違いに気がついたらしいが、ファイティング・ポーズをくずさずにその若い男を睨みつけていたらしい。

 その時に福耳の店長、これがとてもできた人で彼とその倒れている若い男の間に入って土下座した。「お客様、私に免じて許してあげてください。この通りです。」と卒なく床に頭をこすり付けている。

 彼はようやく拳を下ろし「わかった。これまでにしておく。」といい、その若い男と一緒に飲んでいた男たちのテーブルに行ってこう言ったらしい。「俺は3階で飲んでいる。何か文句があれば3階に来てくれ。」

 3階の送別会の席に戻り、会社の同僚のIにこのように漏らしていた。
「I、おれ、下で人を殴っちまった。」
「そうですか、やっちゃいましたか。」
「でも右手の小指の付け根のところがかすかにすりむけているから、いい打ち方のパンチだったんだと思う」(訳注:えっ、そこ?)

 その後、何故か下の被害者のグループは来なかった。彼がもう一度トイレに行ったらそのテーブルには誰もおらずあの後に帰っていたらしい。


・・・・・・・・・・・

さて彼の勘違いだが、、、、

 その2階のトイレは2つ並んでいて、彼が入っていたトイレとは別のトイレにその若い男との友達が泥酔して入っていたらしく、若い男は別のトイレのその泥酔している奴に罵声をかけていた。それを自分に対してだと思って彼は暴挙に出たわけだ。

 前述のように彼はそれを途中で気づいたらしいのだが、上げた拳を下げることができなかった、とのことだ。

 警察沙汰にもならず被害者も復讐にも来ずにすごすごと引き上げた訳なのでハッピー・エンドと言わざるを得ないが、僕はいつか彼にそれなりの因果応報があるものだと思っている。

 

水曜日, 5月 29, 2013

車のトランク内監禁未遂事件を振り返る


 今日、会社の後輩であるLからメールがあり、山梨県で起きた下の事件が「私らが経験した状況と酷似しています」という。メールのccにTがあり私らというのはTとLのことのようだ。

「車のトランクに人が」→へリ出動で捜査、実は…

http://www.asahi.com/national/update/0528/TKY201305280479.html

という事件だ。

 そこでTとLが経験した「酷似した状況」に関して述べておきたい。

Tの状況
 この件はもう10年一昔程前のことだ。お客様担当のチーム5人で銀座あたり(恐らく)で珍しく飲んでいた。そのお客様は千葉県にありチームで飲むのはもっぱら千葉なのである。その後、新橋あたり(恐らく)にラーメン食べに行こう、という話になりタクシーを捕まえることになった。
 ところが1台しか近くに停まっていない。
僕「何とかなるだろう、行くぞ。」
チームの他の4人「???」
(とりあえずタクシーを拾い、ドアがあく)
僕「すみません、トランク開けてください。」
運転手「はい。」
(チームの4人一瞬顔を見回す、が、すかさずTが理解して)
T「はい、わかりました。僕ですね。」注:Tはこの中で一番年下だった
(とT、トランクに入る)
(他の4人座席に乗り込む)
僕「すみません、新橋まで〜」
運転手「は、はい。」
 新橋までの間、トランクより声がする。「うわあ!」、「く、暗いです。」など。
 車中組は「おお、もうすぐだ。」とか「いいから騒ぐな。」等と愛情あふれる声をかける。新橋のラーメン屋到着。
運転手「いや〜、長年やってますけど、こんなのは初めてですね。」
その後ラーメン食べて店を出る。

追記:
この日はTは2回トランクで移動していたことが判明した。上の状況の前に茅場町から銀座に移動している。茅場町からあえてトランクで移動した経緯はちょっと覚えていない。トランクから声をあげたのはこの1回目とのこと。2回目の銀座から新橋への移動の時は慣れてしまって熟睡していた。
Lの状況
 この件はTの状況からもう少し経った頃だと思う。Lがこの事件のことを聞いて、どうしても僕もトランクで移動したいという。そこで何かの際に千葉で会社の仲間の車で移動する時にちょうど人も乗りきれなかったのでLをトランクに乗せて数キロ程移動することにした。
車中組は「おお、もうすぐだ。」とか「いいから騒ぐな。」等と愛情あふれる声をかける。目的地到着。

追記:
Lが言うにはトランクに乗りたいと言った覚えはない、とのこと。だが確かに顔にそう書いてあったように思う。

TとLの会話
 その後TとLは次のような会話で盛り上がっていた。
 「真っ暗なんですよね。」「そうそう真っ暗。」
 「で、ブレーキ踏むと明るくなるんですよ。」
 「車の中の声は以外とよく聞こえるんだよね。」
 「急に曲がったりしますからあせりますよね。」等等等

 ここで冒頭の山梨県の人騒がせな事件とTとLの経験の違いについて述べておきたい。
1.我々のケースはトランクに乗る人があまりにも楽しそうにしていた。
 山梨の事件は恐らく「え〜、俺?」みたいな嫌そうな顔をしており目撃者に誤解を与えたと思われる。
2.我々のケースは実施団体の罪の意識が無くまったく悪びれる様子がなかった。
 山梨の事件は恐らく「まずいかな?」みたいなこそこそ感があり目撃者に誤解を与えたと思われる。

 さてこの件の首謀者は僕だということになっているが、僕がやったことは「トランク開けてください。」と運転手に声をかけただけと言い張ることができる。また2人の会話で分かるように貴重な共通経験を通じて社内の良好なコミュニケーションに寄与していることも明白だと思う。

追記:
2人の率直な感想は、こんな経験ができて良かった! ということが後日確認できた。

 最後にこの行為は道路交通法(設備外乗車)に触れるということだが、警察署がこのブログを読んだとしても前例に従い、実際に確認ができていないこともあり注意にとどめるべきであろう。まったく警察というのは人騒がせでけしからぬと思う。