火曜日, 1月 02, 2007

社会人になってからのバンド活動を想う(その1)


 最近、久しぶりに新しいバンドを立ち上げることにした。大人のゆったりしたそれでいてパワフルなソウルをしっかりしたフュージョン系リズムセクションをバックにやりたいと思っている。

 社会人になってもう22年近くなるのだが、一度やめようと思った音楽を再開してから今に至るまでを書いてみたい。ただし全部書くとすごく長くなると思うので最初の10年ぐらいを忘れないうちに書いてみる。

 学生時代にはかなり真面目に音楽をやっていたが(「学生時代の音楽活動を想う」参照http://zacky-kohs.blogspot.com/2006/11/blog-post_17.html)、大学を卒業して会社に入った時は中途半端に音楽をやるのがいやでもうバンド活動はやめようと思っていた。学生時代に書き溜めていたコピー・ノート(ジャズの人はフレーズや曲を聞いてコピーして自分のものにする)を学生時代を過ごした京都で未練を断ち切るために燃やしてしまったぐらいだ。
 今までと180度違う会社の世界で何とか生き抜こうと必死だった頃大きな事故にあって(「バイク・リベンジ!」参照http://zacky-kohs.blogspot.com/2006/11/blog-post_116251630224272367.html)長い期間、入院をしたのが音楽を再開するきっかけとなった。2度目の入院の時だった。ベッドの上で僕は無性に曲が書きたくなったのだ。家の人に5線紙を買ってきてもらって楽器もないのにベッドの上で曲を書いた。メロディもコードもすぐに頭に浮かんだ。歌なんか歌えないのに歌詞も作った。それでまたバンドをやることにしたのだ。

 学生時代の仲間に声をかけた。ボーカルのE嬢、テナー・サックスのN(E嬢の夫)、キーボードの後輩のH、ギターのTだ。E嬢、N、Tとは学生時代に同じバンドで知った仲だ。Hは同業なので同じバンドでは無いが最もよく遊んだ後輩で信頼できるプレイヤー。ホーン・セクションでもう一人、Hと同期のD大の有名なビッグバンドのコンマスであったKがアルトサックスで参加してくれた。ドラムはD大出身で当時から活躍していたスタジオ・ミュージシャンのSが手伝ってくれることになった。
 キーボードのHに参加してもらったのは、もう僕はピアノはちゃんと弾けないだろうと思っていたからだ。作曲に徹してバンドではベース・ラインをキーボードで弾こうと思いベーシスト無しでスタートした。
 バンド名は「ほくそ笑みブラザーズ」。Hと僕の二人のキーボーディストのコラボレーション・イメージだ。だいたいピアニストとかキーボーディストとか言うのはアレンジをやったりバンド全体を見なければいけない場合が多く、またギタリストみたいにすかっとさわやかではないので、いつも演奏しながらほくそ笑んでいることが多いのだ。それで 「ほくそ笑みブラザーズ」。  曲は僕が先に書き溜めたものから始めてHも素晴らしい曲をこのバンドのために書いてくれた。リズムにはシークエンサーを使った。ドラムスはこれを補足する形で入ってもらったので難しかったと思う。その後、ベースのI(学生時代にChicのコピー等をやったバンドで一緒)を入れて僕も半分ピアノを弾いた。結成して1年ぐらいで恵比寿でライブを行った。ちょうど僕が結婚する少し前のことだ。
 スタジオでレコーディングを行った。僕のオリジナルとHのオリジナルとDee Dee BridgewaterのBad for meの3曲。最後にライブをやったのはE嬢とNがアメリカに行く前の1996年だった。この時はしばらくこのバンドで演奏ができないことがわかっていたので気合が入っており、ビデオが残っているが結構気に入ってる。この頃はホーン・セクションに何名か加わっていた。テナー・サックスにK大後輩のY(通称死神博士)、ペットに今Dag(楽器屋)でマネージャのような仕事をしているKさん、ボントロにD大出身のT。ドラムスがSから変わってK大の先輩のTさん。この人も素晴らしい。当時「いたち」という京都で有名なバンドのドラマーだった尊敬の先輩だ。
 このバンドはその後も不定期にずっと続き今でも休止状態だが解散していない。

 その次にやったバンドはフルバンドでギル・エバンス・オーケストラの曲をHがすべてコピー・アレンジしてやったGEバンド。本当にHはすごい。耳もセンスも抜群である。Hは主にコンマスに徹していて僕がピアノを弾いた。曲はLiberty City、Eleven、Gone gone goneなど。藤沢のClajaでライブをやったのとK大学のフルバン(現役、OB)が集まって横浜でフルバン大会をやった。この頃(1995年?)僕はもう一度トロンボーンをやる気になり(高校のブラバン以来、「音楽との出会い」参照)大学の後輩からCornの楽器を安く譲ってもらって練習を始めていた。GEバンドではボントロも吹いた。

 同じ頃、ボントロでコンボをやりたい、と思い始めドラムのAO(Foul Playersというバンドで学生時代いっしょにやった)から「まつ」というJazzサークル(?http://www2s.biglobe.ne.jp/~ebiebi/index.html)を紹介してもらった。AOもドラマーだがここのところトランペットを本気でやっていて一緒にコンボ・バンドに入れてもらうことになった。リーダーはベースのKさんでバンド名はKoncept。Kさんは理論派ベーシストで(生活はあまり理論派ではないようだが)、この後も長くバンド活動をやることになる。フロントはAOがペット、テナーサックスがE(K大学の名物男、特技は「女」。これもまた後で紹介しないと...)、ボントロが僕。リズム・セクションがピアノがK原さん、ドラムスがO村さん。 スタンダードから始めてモードやKさんのオリジナル等をやった(http://www2s.biglobe.ne.jp/~ebiebi/bonen1998/bonen.html)。

 調子に乗ってボントロで「まつ」メンバーで結成されている「まつビッグバンド」に参加させてもらう。ギターのセミプロでS崎さんという方が譜面提供、コンマス、指導をしてくれていた。この人は性格的にもとても素晴らしい人で丁寧な譜面を書いていただき僕みたいなボントロでも使ってくれて、とても楽しかった。

 さらにホーン・セクションをやりたくてベースのI(学生時代にDEWというバンドで一緒)がやっている「FB’s」に入れてもらう。池袋のYAMAHAでリハと飲み。とても新鮮だった。ギターはD大出身のA、ドラムスはスタジオ・ミュージシャンのS、アルト・サックスは「ほくそ笑み」でも一緒のK。ボーカルはYAMAHAの先生で女性の名前は忘れてしまったのだが、本格的にやっているいい感じの人だった。しばらく続けたが僕がボントロからピアノに戻りつつあったために脱退した。

 「まつ」関連が続く。「まつ」の催しでコンボで演奏することに。今度はピアノで。メンバーはKonceptからテナーのE、ドラムスのO村さん、ベースのKさん。ところが本番直前になってあろうことかO村さんが亡くなってしまったのだ。ショックだった。若いのに。ドラム無しの弔いライブとなった。荏原文化センターというところで力いっぱい弾いた(http://www2s.biglobe.ne.jp/~ebiebi/njf/index.html)。曲はKさんのオリジナル。

 さらに「まつ」イベントで例年新宿ピットインを借り切って忘年会ライブをやるのだが長年やりたいと思っていたKeith Jarrettのアメリカン・カルテットの曲を2曲やった。The Richという曲とShadeという曲。テナー・サックスは学生時代からのつきあいのT(なってるハウス店長)、E(特技「女」)、ベースはKonceptのKさん、ドラムスはDちゃん。みんな超強力で僕のやったコンボの中で最高の経験の一つとなった(http://www2s.biglobe.ne.jp/~ebiebi/bonen1999/bonen3.html)。

 ともかく大きな事故がきっかけでまた音楽をやり直してみようと思った。ピアノを弾くことなんて諦めていたのだけれど、バンド活動を始めているうちにやはりどうしても弾きたくなった。ここから先の後半の10年は自分がやりたかった音楽をひとつずつ、少しずつ進めていくことになった。音楽は僕のアイデンティティーの一つだということがやっとわかったのだ。

ありがとう、音楽! ありがとう、いっしょにやってくれた皆さん!
 

11 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はりゃー。「まつ」にいらしたんですか。(って私は出入りしてなかったんですが…)実は4年くらい前まで荏原中延に住んでたんですよ。「まつ」のそばの「ラーメン錦」でよくキムチそば食べてました。
・・・ということはアイランドスタジオもご存知だったりするんでしょうか。当時やってたバンドのメインスタジオでした。なつかしいな~。

kohs_K さんのコメント...

そうでしたか! アイランド・スタジオつぶれてしまいましたね。いいスタジオだったのですが。最近はあのあたりではシティバードというところを使ってます。あの町はなかなか人情味があっていいですね。

kohs_K さんのコメント...

最近はまつにも行かないもんでさっぱり知りませんでした。今度機会があったら録音で使いましょう。

匿名 さんのコメント...

遊びに来ちゃいました。
良かったかな・・・?
その節はお世話になりました!!
一箱、頂きました。
とても美味しかったです。

悩みの元でもあり、
生きがいの源でもあり、
安らぎのひとときでもあり、
辞めたくても辞められない--音楽。
同じ道を行ったり来たりしながら、
これからも、
ずっと続けていくのだと思います。

おジャマしました~。

kohs_K さんのコメント...

あ~っ、明けましておめでとうございます!
昨年はお世話になりましたね。また今年もご一緒する機会があればと思います。それでは~!

匿名 さんのコメント...

kohsさんの音楽活動って、精力的ですねぇ。すごいっ。ほんと創作意欲がびしびしと伝わってきます。(京都で譜面を燃やされた決意もすごい(驚))
拝見してるとK大・D大のフルバン絡みの人で、知ってるお名前の方がちょこちょこっと出てきて、懐かしいです。
私の場合、ちんたらちんたらとはしてますが、一応は演り続けてます(笑)。
気の合う仲間と楽しく演るというのが、何より一番大切ですよねぇ。

匿名 さんのコメント...

あっ、すみません。
先程のコメントに名前載せるの忘れてました。
Corona Beerです。

kohs_K さんのコメント...

何をおっしゃいます。精一杯もがいているという感じですよ。K大・D大でご存知の人いるんですね?cocoa_teaさんのプレイは僕みたいな気合いっぱつではなく本物だと思っています。

匿名 さんのコメント...

K大・D大の人は、当時3つの大学が一緒になるフルバン・イベントが多かったので、私の方が一方的にお名前を知ってるという程度ですよ(笑)。ひょっとしたら、kohsさんと同大学同楽器の後輩Hさんでしたら、同じ学年ですので、私の名前ぐらいなら覚えていてくださっているかもしれません。

kohs_K さんのコメント...

いや、Hを知っていたら驚きですです。知らなくても紹介したいぐらいの人間ですが。

kohs_K さんのコメント...

この間、AOにcorona beerさんの話をしたら知っていました。9月には一緒に大阪に行きますね。