金曜日, 11月 17, 2006

学生時代のバンド活動を想う


 JAZZを始めたのが18歳の時だが、それからどんなバンド活動をしてきたかなあ。色々な人がいたと思うが忘れないうちに回想してみることにする。ちなみに楽器はピアノ、キーボードです(音楽との出会い参照http://zacky-kohs.blogspot.com/2006/11/blog-post_04.html)。

 僕は大学時代を京都で過ごした。大学に入って軽音楽部に入りJAZZスクールにも通い始めた。スクールで知り合ったピアノの人に紹介されてH大学というところのT.SaxのTさんといっしょにやったのが最初のバンドかなあ。特に名前は無くてこの大学でJAZZをやるバンドがこのバンドだけだったので、しいていえばバンド名はJAZZ!この人はとてもソウルに溢れる人で当時京都では有名なバンドのホーンセクションで人間的にも大好きだった。こちらはテクニックはあるけれどJAZZなんか全然わかってなかったのに付き合ってもらってたんだなあと思う。やった曲はLa Fiesta (C. Corea )とか Maiden Voyage (H.Hancock)とか Wise One (J.Coltrane) とか難しくて全然できていなかったはずだが当時はわからずやっていた。このバンドを通じて知り合ったDsのIとはこの後長くいっしょにやることになった。

 K大のTbのA先輩にやってみるか、と言われて「自信ありますよ」と命知らずに答えてOne Way Ticketというバンドを始めた。A先輩はとてつもなくうまくてフルバンの大きな大会で賞も取っていた。僕はあまりにできなかったためにしばらくして先輩のピアニストに替えられた。勉強になったはずなので、もっと謙虚にやれば良かったと後悔。このピアノの先輩も今では関西でプロで弾いている。当時やった曲は向井滋春の曲とかSeven Steps to Heaven(M.Davis)とか。

 先のH大のTさんの関連でG大のA.SaxのSさんのフュージョン・バンドをやった。曲は当時の定番のCaptain Caribとか。まあこの頃はキーボードの弾き方もわからないので合わせて音ならしていたって感じかな?入学してすぐに買ったYAMAHA CP-30を使っていた。G大のイベントに出演。

 それからこのSさん(A.Sax)とH大のI(Drums)とD大のS(Bass)とカルテットをやるようになった。バンド名はダーティー・ラッツと呼んでいた。変な名前。練習はH大の学館ホールというところで当時はピアノの練習のためにそこに住んでたような生活。曲はスタンダードばっかり。印象に残ってるのはBilly's Bounce とか Softly as a morning sunrise とかMr.PC とか枯葉とか。トリオでもやった。閉じた世界だけど必死に練習していた。T.SaxのTと出会ったのもこの頃でTとは最近もTがオーナーをやっている店( http://members.jcom.home.ne.jp/knuttelhouse/)で演奏させてもらっている。

 割とフュージョンっぽいところから聞き始めているので自分でフュージョン・バンドを立ち上げる。フロントは2人でA.SaxのFとT.SaxのN。Aとはこの後も結構親しくバンドをやる。Nとも長い付き合いでこの後知り合うVocalのEと結婚して家族ぐるみの付き合いを続けている。DrumsはK大のビッグバンドで叩いていたM、Bassは先程のD大のS、GuitarはSの友達のO氏。David Sanborn とかTom Scottのコピーをやっていた。僕にリーダーシップが足らなかったのか、特に発表の場もなく解散。  

 同じ寮に住んでいた先輩のT.SaxのHさんに誘われて「熊野ワークショップ」というカルテットをやる。GrossmanやDave Liebmanのいかつい曲ばかり。このころはmodeといかついFusion一辺倒だったのでこう曲が楽しかったなあ。「熊野」はK大の学園祭や定演でやった。Drumsは先程のM、Bassは当時寮に住んでいたH。話はそれるがHが乗っていたバイクを買ってしばらく乗っていた(バイク・リベンジ参照)。

 この頃はバンドと言うよりセッション中心で夜の部室(ブシツ)にアマ・プロ集まって夜な夜な激しいセッションをやっていた。BassのHさんと言う個性的な先輩がいて中心的にやっていた。結構レベルが高くて回ってくると緊張が走る。この頃は昨年亡くなったPianoの市川 修さんに習っていたりRhodes MarkⅡ(73鍵)を買ったりしてJazzに打ち込んでいた。部室のセッションには市川さんやT.Saxの山中 良之さん(http://www.jazzpage.net/yamanaka/)も顔出していた。Hさんは今でも横浜近辺で活躍中。

 自分のコンボもやった。BassはHさんに付き合ってもらいDrumsはセミプロのKさんやOさんにお願いしたりした。宝ヶ池に当時あった無限というライブハウスに出してもらった。バンドとは別にバイショウも時々。当時三条にあったベラミとかピアノ・ラウンジやホテルの仕事とか。大阪や神戸に行くこともあった。

 大阪のGuitarで名前がどうしても思い出せないのだがすごいテクニックだった人。その人としばらくやっていたフュージョン・バンド。梅田まで行って練習。Pat Metheny やWeather Reportをやっていた。YAMAHAのポップコンに出場。

 どちらかというとロック系のGuitarの先輩であるSさんからブラコン系のバンドを誘われる。経験がなかったがメンツが良いので迷わず参加させてもらう。バンド名は北白川Funky Rhythm Section。Bは当時からものすごくうまかったが、今や本当に日本を代表するBassistになってしまったO(http://www.eqeq.jp/osamu/)。僕以外にもう一人Keyboardがいて歌心と言いセンスという抜群のNちゃん。とてもかなわなかったな。Vocalは当初Nさんだったが事情により抜けてしまいKS大のYさん。話題にことかかない人だったがどうしているだろう。Drumsは最初Oさんというノリのすごい人で人間的にも最高だったが何度かライブをやった後、プロのバンドで活動するために抜けてしまった。その後「いたち」という最高のバンドを一時期やっていたNさんやD大のNが入ったが合わずにD大のKで落ち着いた。最高にファンキーな男だった。Horn SectionはA.SaxのFやTpのIが当初やっていたが卒業などで変わりT.SaxのK、TbのC、TpのKとこれも強力なSectionとなった。
 最初はD.Hathaway、King Curtis、Whispers、Larry Graham なんかをやってE.W&F やKool & Gangをやるようになり後半はメンバーのオリジナル中心になった。曲とアレンジはBassと二人のKeyboardが中心に歌はVocal中心に。バンド名もKIXに変えた。シンセをやらなければいけないのでYAMAHA DX7を買った。メカに弱いので音なんて作れなかったけどね。主に磔磔(たくたくhttp://www.geisya.or.jp/~takutaku/)というところでライブをやっていた。YAMAHAのポップコンや大阪でやってたコンテストにも出た。まずまずのところまで勝ち進んだ。そしてOがプロになるためにBostonの音楽学校へ。他のメンバーも就職やらなんやらで解散となった。

 Jazzの方はA.SaxのFと「あさってデュオ」を結成。僕らのキャラが何となく「あさって」っぽいのでこの名前を。スタジオ・バリエという演劇とかをやる店があってそこで定期的にライブをやっていた。その後BassのF(http://www.max.hi-ho.ne.jp/ulmado/funato.htm)も参加して「あさってトリオ」に。Fが卒業したのでBassのFとふたたびデュオでやっていた。 BassのFはど太い音のべーシストとして活躍中だ。

 フルバンはいっさいやらなかったが4回生ということでK大フルバンに1曲だけ参加することになった。曲は秋吉敏子のMr. After Ten。録音が残っていて割りと最近聞いたけど、悔しいがやっぱり今よりいいかな?どうだろう。

 後輩のブラコン・バンドのKeyboardが抜けるというので誘われる。DewというバンドでBassのIとDrumsのKさんがノリが合わないのが楽しみのひとつ。GのTが大人で調整役。VoのEはJazz系のセッションで良く知っていたがここで初めてバンドをやる。その後EとTとは長く音楽の付き合いをすることになった。Iともしばらくやっていたがちょっと疎遠。ChorusがRとN。Rは後に脱退してKが入った。曲はChic中心。これも僕は初めてやったのだが大好きになった。捨得(じっとくhttp://www.baumkuchen.net/~ue/jittoku/)というライブハウス中心にライブ活動をやる。

 R大のK(Bass)から誘われてFoul Players(http://sound.jp/foulplayers/)というバンドを手伝うことになった。2回だけライブに参加。VocalはM、DrumsはAO、GuitarはM。曲はChaka Kahn, Dee Dee Bridgewater他。良いライブとなった。後輩のHを紹介してバンドを去る。AOとは卒業してからJazzの付き合いを長く続けている。このバンドは今でも積極的に活躍していてすごいらしい。サイトには僕がやったライブの音源もUPしてくれている。

 他に大学時代で心に残っているのはO(Bass)がアメリカに行くさよならライブ。D大のVoのOさんとかLay Downというバンドの皆さんとやれて楽しかったなあ。Lay Downとはこれとは別に大津でやったり新潟にツアーして演奏したりした。R大のAsのHとバイショウで白馬のスキー場に行ったのも想い出した(Hはナンパに失敗、僕は当時はそんなことしなかった)。

 他にも一緒にやってくれた人はたくさんいる。普段は忘れてしまっているがみんなが少しずつ心の中に残っているようで、とても感謝している。

 大学を卒業してもうバンド活動はやめるつもりだったのでこの話はここまででおしまい。長くなったし。就職してからまた始めて続けるようになってからはまた別に書きます。それでは!

6 件のコメント:

SkySea空海 さんのコメント...

写真がジャニーズのようです。。。

kohs_K さんのコメント...

もっとも良く取れた写真のひとつ、しかも20年前です(笑)。

匿名 さんのコメント...

ジャニーズ出身だったとは?!(笑)
とてもやせていてびっくりしました。違う人だと思っていました。すまん!(←言ってみたかったんです。笑)

kohs_K さんのコメント...

う~む、今はこれ以上の減量は不可能なのでがまんしてくださいね。

匿名 さんのコメント...

kohsさん、ごぶさたしております。
きっと22年振りぐらいではないでしょうか。
ひょんな事からこのブログを拝見致しました。
「学生時代のバンド活動を想う」を見ていて、kohsさん、すごい経歴だなあ・・・と感心しておりましたら、最後の最後に出てきました。
R大Hさんとの白馬スキー場バイショー(笑)。私はその時のバンドでタイコ叩いてました。
きっと、kohさんの学生時代の想い出の0.001%ぐらいでしょうが、ほんと楽しい一週間でしたので、私も今でもよく覚えてます。
また、いつかお会いできたらいいですね。

kohs_K さんのコメント...

おお、何となく顔を思い出しましたよ! 少し後輩のドラムの人でしたよね。名前がどうしても思い出せません。良かったらメールください。このBLOGの私のProfileを開いてMailを押せばOKです。Chameleonとかやりましたよね。この程度しか思い出せないのですが気を悪くしないでくださいね。