僕にも純真な頃があって小学校2年生までサンタクロースを信じていた。大阪の枚方市に住んでいて家には小さな庭があった。その冬に僕はサンタクロースにお願いをしたのだ。
「鉄棒欲しい!」って。
クリスマスの朝が来た。僕は正直、小学校の校庭にあるような本当の鉄棒がもしかしたら本当に来るのではないか、と考えていたのだ。どうやって来るのだろう。トラックに乗って?
母が言う。「○○(僕)、良かったわね。鉄棒が来たよ。」
その鉄棒は庭に出現していた。庭にあった2本の木を利用して鉄パイプを枝にひっかけてロープと布で固定した不恰好なものだった。それで僕は父が鉄棒を作ったことを知ったのだ。昨日僕が寝てから必死で作ったに違いない。
小さい頃の父の記憶は不思議と海なのだ。海水浴で父の背中に乗って冷たい海を泳ぐ。一人にさせられて不安に思った頃に水の中から父が顔を出す。その時の父の若い頃の顔を僕は今でも思い出すことができる。
小学校高学年の頃だ。父と父の仕事の仲間と尾瀬に行った。歩いた、歩いた。板で渡された湿原の道を。いっしょにいた人の顔も何人かは覚えているのだ。もう一度父と行ってみたいと思っていたのに。
父は公務員でダムや水路の建設や管理の仕事をしていた。父の仕事場には中学の頃よく連れて行かれた。ダムを制御する中央パネルがあって水深や水圧を知らせるのだ。台風があって水量が増すと夜中でも父は車で仕事に出て対応をしていた。人の命に関わる仕事なのだ、と言っていた。
僕は長い間、父に反発していた。どうしても尊敬できない期間が何年もあったのだ。それは僕が音楽をやりたいと思っていた時期だ。芸術大学に行きたかった僕と父は毎日のように議論をした。父は有名大学でないと大学でないと思っているように思えた。僕が最後に折れたのは父の次の言葉によるものだ。
「○○、たとえばプロのラグビーの選手になるとしてもW大(私立)やK大(私立)を出て有名選手になった方がかっこいいだろう?」
それで僕は勉強をして普通の大学に行って、それから音楽をやろうと決めたのだ。
これは僕なりの反抗だった。父の視野が狭く見えたし、学歴を重んじるステレオタイプな考え方が嫌だったのだ。それで父の卒業した大学に入った。
・・・・・・
父と次に話し合えたのは大学の3回生の時だ。当時両親は名古屋にいて僕は帰省した時に初めて父と飲んだのだ。栄町の寿司屋で会計の時に学生時代の僕にはとんでもなく高額だったので父に悪いなと思ったのを覚えている。その時の父は家庭での父とは違う側面を持っていた。僕の知らない側面だ。僕はそう感じたことを言った。父は「そりゃそうだよ。」と答えた。
父を本当に理解したのは僕が会社に入って仕事をしてみてからだ。やっとわかったのだ。普通に働くだけで十分たいへんなのだということが。父はもうリタイアしたが、つい最近まで会社の顧問をしていた。僕は父の年になってそのように働けるか今でも自信が無いのだ。
父は5年前に大きな病気にかかって倒れたのだが、幸いなことに大事に至らず何とか母に支えられて普通の生活をすることができるようになった。記憶や感覚は以前と比べると衰えたと本人も言っている。
僕は父に対してまだまだ腹を割って話せていないのだ。感謝しているとか、こういう点が好きだとか、嫌いだとか。この間、名古屋で初めて飲んだ話をしてみた。彼は忘れていた。僕は色々なことを自分の心の中に閉じ込めていたことを後悔した。
父に言ってみよう。鉄棒のこと、反発していたこと、尊敬していたこと、感謝していたこと。素直に言ってみよう。「お父さん、ありがとう!」って。尾瀬にもまた行けるかもしれないね。
7 件のコメント:
鉄棒欲しい!ってKOHSさんも可愛いころがあったんですね?(笑) いやいや、今もとても夢があって可愛いですよ?!(笑) お父さん、相当困ったでしょうがさすが!夢を叶えてくれるドラえもんみたいですね。
素敵なプログですね。親とはいろいろありますよね。私はおじいちゃんやおばあちゃんといろいろ話したかったけど、、気がついたらもういなくなっていました。すごく反省。親には今はいろいろ話してます。それまでいろいろあったけど。とても気持ちいいです。
コメントありがとうございます。ご両親とお話できていて羨ましいですね。僕はこの程度のことを書くだけで精一杯。このブログをコピーして父に渡せるかどうか、と言ったところです。
最近すすめられて読んだ「鏡の法則」に触発されて書きました。すすめてくれた友達に感謝します。
毎度です。
サンタさんは最早幼稚園行く前に親が枕元に持って来るのを寝たふりして見てしまい、幻滅してしまったガキですた。AO
AOさんの生まれた地域にもクリスマスの風習があったとは驚きです。
お父さんにありがとうっていえました???私もサンタクロースはいると思っていて、いないといったクラスの男子と喧嘩したの覚えてます。たぶん小学校低学年。男親と息子はなんかいろいろあるんですよね。女親と娘がなんかあるように。私もそうですが、両親は年なので、、、いっぱいお話できるといいですね。きっと待ってますよ。
それがまだ言えていないんですよ。同じように母にも言いたいので母用のブログを書いてから言いに行きます。
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